言葉は知識であり術

初級クラスで学びはじめて2ヶ月がたちました。
振り返ると、「まだ2ヶ月かぁ・・・」という気持ちです。
まるで3ヶ月半くらいクラスに通っているような疲労感・・・!!
それほど中身の濃い日々をどうにかこうにかここまでやってきました。

以前から疑問に感じていたことがありました。
それは、フランス語の学習は、どんな風に深まっていくのだろうか?という疑問です。
語学の学習にゴールは無いとは言いますが、一般的には初級、中級、上級とクラスが変わり、テキストが変わり勉強を深めていきます。
その「深まっていくもの」って何なのだろう?とずっと思っていました。
もちろん、漠然と新しい文法や語彙を学んでいくことだとは考えていたのですが、それによって「深まるものっていったい何なのだろう?」と。

それについて、最近、自分なりの気づきがありました。
つまり、「言葉は人生なんじゃないか、いや、人生を語るために言葉があるのではないか。」という考えが私の答えです。

しばらく前に、授業で不定冠詞を勉強しました。
予習の段階では、「不定冠詞は勉強したことがあるし、理解している」つもりに感じていました。
問題も割と簡単に解けて、余裕を持って授業に臨みました。
ところが・・・。
先生の講義を聞くと、不定冠詞という存在は、私の想像の何倍も深い存在で、
様々な状況やバリエーションによって考えなければならないことがたくさんたくさんありました。
まるで私が見ていたのは地表に出ている小さな木の枝葉で、地中には想像もつかないくらい深く複雑に根を張り巡らしている木を想像しました。

それ以降も、「定冠詞」「人称代名詞強勢形」「疑問代名詞」「指示形容詞」などなどと、
一度は勉強した経験はあるのに難しい!という内容が続々とつづき、
予習復習にかける時間がどんどん増えていきました。
内容が複雑になりすぐに覚えられないことも増えてきました。

そんなとき、フランス語の長く勉強している友人に会い、現在彼の使っている教科書を見せてもらう機会がありました。
そのテキストは、細かくって、知らない単語ばかりで、まるでみしらぬ外国語のようで、ひとかけらも私の頭には入ってきませんでした。
でも、見覚えのある図がいくつかありました。例えば、ショッピングの様子であったり、人に道を尋ねる図であったり・・・。
そして彼曰く「内容は繰り返しだよ!複雑になっていくけどね!」

その言葉がヒントになり、これまでの経験が自分の中でつながりました。
同じ「不定冠詞」が使われていても、その言葉を話す人のシチュエーションは様々で、
前後の会話や相手や時間や目的は無限にあるのだから、同じテーマで何度も繰り返し勉強して少しずつその多様性を身につけていくのですね。

これまで、
日本に住み日本語を話す私は「フランス語」を「学習する対象」と考えていましたが、
「フランス語」はフランス語を使用する人々にとっての「人生を語る術」なのですね。
いえ、「人生を語る術」として「言語」は生まれるとしたら「人生を語るためにフランス語はある」ということでしょうか。

結論として、
人は年を重ね、年を重ねるごとに人それぞれが多様な経験し、
身体も心情も変化し、さまざまな条件が織りなすように人生も深みを増していき、
深みを増した人生を語るためには言葉にも深みが必要で、言葉の深みとは語彙の豊富さや文法等なのではないかと考えました。
なので、語学の学習が深まるということは、語彙を増やしたり様々な文法を身につけることになるのではないでしょうか。


うまく言葉で表現できませんが、私の中でこのことに気づけたことは小さいですがとても大きな革命です。
今までは「フランス語を身につけよう」と思っていました。
フランス語という知識を身につけようと思っていたかもしれません。
でも今は「フランス語でも人生を語れるようになりたい!」と思います。
フランス語は、知識でもあるが術なのだと思うからです。

授業への臨み方、ノートの取り方、予習復習の仕方もこれまでと変わりそうです。